つれづれに
親睦会
令和5年1月28日(土)
蒲田駅グランディオ 7階
「新宿中村屋」オリーブハウスにて
「本当に久しぶりの集まりでした。」
コロナ禍で、演奏会の延期や中止が多かった中、ずっと続いていた寂しい気持ちが解消された様なひとときでした。
遠くからいらっしゃった方、ご病気で回復中の為リアルではご参加出来なかった方もオンラインで繋いで楽しくお喋り出来ました。
文明の利器ですね。
皆様ご自分のお話をして下さったり、周りの方々のお話をお伺いしたりと楽しい会話に花が咲きました。
また、お身体を労わりご回復を願う優しい言葉が溢れ、空気が明るく弾んでいる様に感じました。
「この教室を選んだ理由」
私は皆様が、何故当教室を選ばれたか常々お伺いしたいと思っておりました。
そこで皆様にお尋ねしますと、
ある方は、「体験レッスンの内容が良く、ここだ!と決めた」と言う方がいらっしゃいました。
弾きずらかったのが指の指導で弾きやすく解消されたとの事でした。
教授する側としては、常にその方に今何が必要かを考えながらレッスンしておりますが、教える側、習う側の意図はピッタリと合う場合とそうではない場合が有り、中々上手くはいきません。きっと丁度良く噛み合ったのですね。
その昔、私も先生方に沢山の事を教えて頂きましたが、その場では私の理解が及ばず合点がいかない事も有りました。
何年も、或いは何十年も過ぎてから、あの時のご指導はこういう事だったんだ!と腑に落ちた事が何度もございます。その時に分からないまま引き出しにしまっておいたものが、パッと光が差すように解答を得る、正にそんな感覚ですね。理解出来た時にそう言う事だったのか、と一種の安堵と感謝の気持ちが湧き上がります。
指導していきますと、大体自分と同じ道を辿っていますので、分かる部分が多くはなって来ています。
ひとつひとつ階段を登るように共に楽しみにお稽古を続けていきたいと感じます。
またある方は、「お箏の曲を聴き、宮城喜代子先生(故、人間国宝)の音色が別格との事で、直接指導を受けられた先生を探した」との事でした。
凄く耳が肥えた方と感じました。
日本三曲協会会長でもありました宮城喜代子先生は、当時では数少ない人間国宝となっておりました。
お正月にはお馴染みの「春の海」で世界的に有名になられた宮城道雄先生の跡を継ぎ、箏曲界、三曲界に貢献なさっておられました。
しかし、道雄先生の演奏と喜代子先生の演奏はまた違うのです。
喜代子先生はご自分でも自分なりに音色を工夫しているとおっしゃっておりました。
レッスンの時、すっと立ち上がり、10代の私の脇まで来られてさっと傍らに座り「こう弾くの。」と私の弾いている楽器を弾き鳴らして下さいました。
素晴らしい先生用の楽器でなく、お弟子用の楽器に変わっても喜代子先生の音色でした。
まさに真珠の様な朝露の球が蓮の葉からポロポロッとこぼれ落ちるような、しっかりとして美しい音色でした。
しっかりと糸の弾力を巧みに使う奏法でした。私は少しでも近付けるようにという切なる願いを持ち続けております。
「資格を希望」
喜代子先生の音色は違うと仰った彼女は出来れば資格を取得したいと言うご希望がありました。コロナ禍で会も無い中、受験のチャンスでもあると考え、お勧めしました。
お父様の介護をなさりながらお稽古に励み、リモートレッスンで教師試験に挑戦。2番と言う素晴らしい成績で合格されました。
去年秋、地域の民生委員、市の役所の主催による敬老会で演奏する機会が有ったそうです。
150名の席が満員でドキドキしながらの演奏でしたが無事沢山の拍手を頂いたとの事です。
この1月、「演奏を聴いた方からその中の「春の海」をリクエストされ、来週演奏する事になりました。また、レッスンをお願いします。」と言う事になり、レッスンを致しました。
その際、「お免状を頂き宮城会の会員になったからには恥ずかしく無いよう精一杯の演奏をしたいです。」とおっしゃった言葉を聞き、私は大変嬉しく、師匠冥利に尽きると感じました。
日本の良い曲をこれからも残し、日本の文化が益々発展していく一助となりましたら幸いです。
大変充実した親睦会になり、帰宅後や翌日に沢山のメールを頂きました。
楽しい時間を過ごすことが出来ましたと言う感謝の内容が多い中、「その後、暫く興奮冷めやらず、合奏練習後に皆様と楽しいおしゃべりに興じた懐かしい日々を思い出し、思わず涙してしまいました。こんなお仲間がいて下さりしみじみ幸せに思います。」
と言うメールを頂き、お箏を通して和の心が息づいているのを感じ嬉しく思いました。
「長かったコロナですが親睦会をやっと開けるようになりましたね!希望が湧いてきます。」などの前向きな言葉に私も力を頂き、一層の感謝の気持ちと活力が湧いて参りました。
私こそ、人生の先輩方から沢山お勉強させて頂いております。かけがえの無い多くの時を皆様と過ごし、楽しい思い出が積み上がっています。
芸大の四年生から教授を初めて気が付けば40年以上が経ちました。
これからも共に明るく楽しく励みましょう!
2023.1月吉日
白菊の香
今、 稽古場には高貴な菊の香がただよいます。
こんなに心惹かれる香りだったとは、 何故、今まで気付かなかったのでしょう。
今までは、 菊の香りは何だか好きになれませんでした。
中井先生のご法要でいただいた花々です。
思い起こせば、
中井先生と初めてお会いしたのは 我が家の稽古場にいらした時でした。
伯母の西谷文子(あやこ)が、 三絃の構え方など、 自分の悪いくせがつかないようにと、 小学生の私と妹弟の3人に三絃の持ち方、 構え方をご指導いただきました。
伯母はもちろん、 宮城道雄先生の熱烈なファンでしたから、 中井先生が上京された時には、残念ながら道雄先生は天国に召され、 お会い出来なかったので、 伯母は自分の知る限りの先生の事をお話しすると申しておりました。
若いのに知識が豊富で熱心だから、 きっと立派な学者様になるに違いないと嬉しそうでした。
時は流れて、 約10年後、 私が在学中、 芸大では、 初代富山清琴先生が退官され、 中井先生が地歌胡弓を教えにいらっしゃるというので、 副科で胡弓を取りました。
ピアノ科、 楽理科の方々が、 手ほどきをお稽古し、 その後私のレッスンになるのですが、 時々、 「すまないが、この後演奏会があるんじゃ。」 「えっ、先生、何時からですか?」 「六時からじゃ」、 「えっ、もう六時になりますよ。」という事で、 あわててタクシーをひろい、 早く早くと急ぎますと、 「もう、そんなにあわてんで良い。」と、 しかられる始末。 会場前では、 中井先生を出迎える人が、 首を長くして、 待っておいででした。「 先生のご出演は、中程にしました。」と、 大汗をかいておいででした。
卒業後も、 その頃住んでいらした、 代々木上原の小さな2階建てのご自宅では、 1階にこたつがあり、 2階に上がってレッスンを見て頂くのですが、 4人、 5人と生徒が増え、 主は未だ帰らず。 ある時、 おいしい天丼を皆でごちそうになった事を懐かしく思い出します。
3年程前、 初めてお目にかかってから50年近くになりますが、 宗家のおひきぞめで、 越後獅子の胡弓を合わせて下さった際、 あなたが地を弾きなさいとおっしゃられ、 我が家で、 会の前日、 合奏練習をした事がありました。 合奏後、 近くの赤ちょうちんに入り、 大変気に入られ、 「あのご主人の顔がいい」と、 その後もお話されていました。 まあ、 ご商売で儲けようという気があまり無いお店で、 地元のスポーツチームや常連さんの憩いの場の様なお店です。 先生は、 その店主の心が感じられるんだと思いました。
来週には京都で、 八橋検校、 生田検校の没後300余年の会が有り、 宮城会は菊の栄を演奏する事になっております。
「翠帳の床には香る白菊の……」 というところを歌うたび、 かぐわしい菊の香りがよみがえり、 温かな心に残る中井先生のご法要や、 生前のお人柄が次々と思い起こされます。
思い起こせば祖母菊乃が大好きだった箏曲は、 伯母文子が、 そしてその後私達が弾いていき、 又、 姪の文音(あやね)達が続けて行く事になるでしょう。 それでも、 四代で約百年。 八橋検校の没後330年という年月、 気が遠くなる感を覚えます。
地歌箏曲にご縁を持たれ、 貢献していらした先生方の想いの丈を織り込みながら 脈々と続いて行くたゆまぬいのちを感じる、 今日この頃です。